こんにちは。発達障がい児・軽度知的障がい児を育てた宮田です。 今日は軽度知的障がいのプライドについてお話したいと思います。知的障がいがあっても、彼らは人間です。外には表せなくても、嫌なことはたくさんあって・・・。そしてプライドもあるんです。
軽度知的障がい児あーちゃんのイヤなこと
軽度知的障がいのあーちゃんが最近イヤなことは、
「あーちゃん偉いね」
と言われることだそうです。
あーちゃんはもう高校生。見た目は中学生だけれど、ココロはちゃんと高校生になっています。
理解力や判断能力は小学生だとしても、年齢相当の経験は積んできているので本人は高校生の自覚があります。
ですが、あーちゃんは見た目が幼くて小学生から見えても中学生。
よその人や先生まで
「あーちゃん○○できて偉いね」
と褒めてくれるんです。
それがあーちゃんにとっては「褒めている」ではなく、「侮辱」に聞こえるらしく褒められるのが嫌だと。
「頑張ったことを褒められるのは嬉しいけれど、頑張ってないことを
『すごいね』
と言われるのはすごく嫌だ。先生にもそう話した」
と。
軽度知的障がいでもプライドを持っている
あーちゃんは非常にプライドが高い子のようです。オーッホホホホ系ではないのですが、「自分がどうあるべきか」と言うことと「侮辱」に対してこのすごく過敏に反応します。
自分の持っている能力を見てめてほしいのは誰でも同じです。
過小評価されるのが嫌なのも、大体の人が同じだと思います。
障がいを持っているだけで侮られる人たち
障がいを持っている人は障がいを持っているだけで、
+守ってあげなければならない人
+能力が低い人
とみられがちです。知的障がいの場合、これは謙虚になると思います。
それは“好意”でありますし、侮りである場合もあります。
それを“利用”して生きていく人ももちろんいます。でもその侮りに憤りを感じてしまう人もいるんですよね。
障がいがあるからこんな人!と決めつけるのは危ない
私もあーちゃんが軽度知的障がいを持っていて、説明しても
+わからないだろう
+できないだろう
と思う時があります。でもやってもらうと意外とできたりするんですよね。
親が手伝うことで
「本当はできる能力があるのに、それを奪っているのではないのか」
と感じることはあります。できたとしても「当たり前」とは思えず、褒めてしまう。
けれど本人にとっては「褒められるほどのことではない」と感じることだったりします。
障がいは人それぞれ全く違います。あーちゃんと同じ軽度知的障がいでも、全く違います。
それは当たり前のことなのですが、それを忘れがちのような気がしてなりません。
そして障がいがあるというだけで、その人の能力を過小評価してしまう。
気を付けなければならないなあと私はとても感じた出来事でした
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