『善悪の彼岸』
Jenseits von Gut und Böse
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 –146節
“Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.”別訳:怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
色々な訳が存在しますが、ようは自らが怪物になるな。ということと、深淵はこちらを覗いている。という二つを伝えています。
こんにちは。発達障がい児・軽度知的障がい児を育てた宮田です。 私はニーチェの言葉が結構好きです。そのニーチェの言葉の中でもっとも有名ともいえる「深淵をのぞく時~」をカウンセラーとして考察してみたいと思います。
深淵をのぞく時~:怪物と戦うものは・・・って怪物って何?
色々な解釈ができる部分なのですが、これは「これ」と決まっているものではないと思います。
哲学とは明確にコレと当てはめるものではなく、言えば公式のような自由なもの。
ですがここではカウンセラー考察なので「ココロ」に接点を当てていきたいと思います。
今回は「相談編」と言うことで、カウンセラーの本質にもかかわるお話です。
私は怪物とは相談者さんの悩みだと思っています。
RPGで言うと、相談者さんは勇者。自分の悩みと言う「怪物」と戦う存在です。
カウンセラーは、その勇者をサポートする存在です。
勇者である相談者さんといっしょに悩みに立ち向かう存在ですが、時に相談者さんを傷つけることがあります。
相談者さんの考えている作戦を、否定して勝手に行動するカウンセラーは怪物と同じで勇者である相談者さんを傷つけることになりかねません。
怪物が増えてしまったら、勇者はどうしようもないですよね。
その理由はいろいろあります。
相談者さんに価値観を押し付けてしまう。という時。
相談者さんの同調しすぎて、カウンセラー自身が心を病んでしまう時。
などです。どちらもカウンセラーにとってはタブーで、気を付けなければならないことです。
カウンセラーにとっては、「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。」は、相談者さんに価値観を押し付けたり同調しすぎて相談者さんを傷つける怪物になるな。と解釈することができます。
【カウンセラー的考察】深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ
相談者さんと一緒に戦う。ということは、相談者さんの[ココロ]に相談者さんと一緒に向かい合うことになります。
経験がある人はわかると思うのですが、ココロに向かい合うのはとても大変です。
モヤモヤしたり、怒りがわいたり、イヤな思いもたくさんします。それは昇華に向かってのプロセスなのですが、日本ではそのプロセスを受け入れられない人もいます。
それはココロに向かい合い慣れしていないから。なので短い時間では、なかなか爽やかさが出ないこともあります。
相談者さんの心に向かい合うと言うことは、カウンセラーは自分自身の心と向き合うことにもなります。
相談者さんがカウンセラーと同じ経験をして苦しんでいる時は、特にカウンセラーは相談者さんに同調しやすくなります。
相談者さんの悩みと戦っているのに、カウンセラー自身の問題(怪物)が浮き出てくることがあります。
このカウンセラーの問題を私は「深淵」と考察しました。
相談者さんと相談者さんの悩みと戦うと言うことは、自分の悩み(深淵)を覗き込むことにもなります。
その深淵(カウンセラー自身の悩み)は、常にカウンセラーの心を食らうべくこっちを狙っている・・・・。
だからこそカウンセラーは自分の悩み(深淵)にとらわれないようにしなければならないんですよね。
色々なことに当てはめることができるニーチェの言葉
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
自分の環境や思いに当てはめてみるといろいろな解釈ができる哲学者ニーチェの言葉。
生きるのが大変な日々の中で、少し心を止めて考えてみると楽しいかもしれませんね。
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