【自分分析】HSPあるある?:ドラマや映画で主人公がつらい目に合うのを見るのがつらい

私のこと

 こんにちは。発達障がい児・軽度知的障がい児を育てた宮田です。 心理の資格を取得し、ボイスマルシェで心理カウンセラーとして活動している宮田です。

今日は自分分析のお話です。実は私はこんなことがつらいんです・・・・

 ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)とは

環境感受性Environmental Sensitivity)あるいはその気質・性格的マーカーである感覚処理感受性Sensory Processing Sensitivity)が極めて高い人たちを表す言葉である[1][2]。環境感受性とは、ポジティブおよびネガティブな環境刺激に対する処理や登録の個人差を表す特性的概念である[3][4]。したがって、環境感受性が高い個人であるHSPは、環境感受性が低い人と比べて、ポジティブな環境から良い影響を受けやすく、ネガティブな環境から悪い影響を受けやすい。

HSPはDSMに指定はされてはおらず、心理学上の概念であり精神医学上の概念ではない

Wikipediaより引用

HSPあるある?:ドラマや映画で困難に突き当たる主人公を見るのがつらい

例えばなのですが、1話完結ごとのドラマなのに、ドラマを通して「すれ違う親子の愛憎」みたいなテーマが隠れているとするじゃないですか。

別居している子どもに避けられつつも、仕事を全うして事件を解決していく母。

少しづつ母を認め始める子供。でも母の愛情が子供の思いとはすれ違っていて、また子供の気持ちが離れてしまう。

というのを見ると非常につらくなるんです。

最後にはきっと分かり合える。となるのでしょうがそれまでの苦しみとか戸惑いを見ていると自分が苦しくなってしまう。

主人公の感じる心の苦痛などを感じ取ってすごく苦しくなるんですよね。

なのでホラー映画とか絶対に見られないし、ドラマもできるだけ見ません。

人間ドラマが苦手なようで、人間同士のいざこざがすごくつらくなってしまうんです。

HSPあるある?:自分に当てはめているわけではないんです

自分に当てはめているわけでは決してなくて、なんか言い方がわからないけれどとにかく苦しい。

「こうすればいいのに」

「自分に当てはまる・・・」

とかそういうのじゃなくて、胸の奥がキュー――っとなるような。ああ・・・表現が難しいです

可哀想とかそういうのも違います。自分の感情はそこになくて・・・・表現が難しい

HSPあるある?:自分じゃない誰かのつらい経験で心が痛くなる

ドラマや映画に入り込むタイプではないのですが、本当に主人公の困難がつらい。

だから途中で見るのをやめてしまいます。

悪役でも悪役なりの理由があったりする作品があるじゃないですか。ああいうのも楽しめないんですよ。

悪役のつらさに同調するし、正義の味方のつらさにも同調しちゃう。

「誰が悪いわけでもないのに・・・」

辛すぎて最後まで見ていられません。

友人が沈んでいて、私がボロボロ泣き出して友人が「なぜ?泣くの?」と聞くので

「あなたが泣きたいのを我慢してるのを感じ取っちゃったのかも」

みたいな事件もありました。優しいんじゃないんです。きっと。感じ取っちゃったただけなんです。

HSPあるある?:自分を第三視点で見ることはできるのに

自分のことは第三視点で見ることはできるのに、他人の主観に入り込んでつらくなってしまう。

誰でもあるとは思うのですが、それが私には辛すぎてドラマや動画・映画を見るのが好きではありません。

なぜか小説は平気なんですよ。つらくなったら一気に飛ばせるから。・・・全然平気じゃない!ですね。

つらいけど頑張ったね。の「がんばったね」まで我慢して見られないんです・・・。

ポジティブにも影響を受けやすいですが、ネガティブの破壊力が三割増しぐらいなのがつらいですね。

世の中のみんなが笑って生きられればいいのに・・・と本当に思います

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