こんにちは。ネグレクト育ちで“母親”と言う物がわからず、もがきながら発達障がい児と軽度知的障がい児を育ててきた私が、ネグレクトと母親になることのお話をしたいと思います。
ネグレクト育ちの私
父親は家庭に一切興味がなく、母親はそんな父親だけを見ていました。
自分が生んだ子供の世話にも興味がない未熟な母親であった私の実母。
妹は情緒障害になってしまいました。
祖父母がいたので飢えずに済みましたが、母親だけなら高校にも行けなかった。お金がなくて。
1円もお金を家庭に入れないのに
「育ててやっている」
と娘を殴るような男を愛した母親もどれだけ男に見る目がないんだ・・・と説教しました。ホントにぃ。
妊娠した時の戸惑い
もう19年前になりますが、第一子がお腹に宿った時には夫と一緒にブルーに。
私は母親と言う物を知らないので、子供がいる自分が全く想像できず。
結婚して一か月と少しだったので、夫も唖然。
子供ができた。
と言われて喜ぶ前に唖然とする男性がいても、許してあげてください。
私と夫が赤ちゃんができたとわかった時は絶句しました。
喜びよりも不安が押し寄せてきたんですよね
子供がいる未来が想像できなかったのと、今までの人生が変わってしまう恐怖。
マタニティブルーが赤ちゃんがいるとわかったとたんに襲い掛かってきた気分です。
妊娠中の恐怖
妊娠中、私は体調が悪く出産前には三か月ほど入院していました。胎動を感じるたびに、愛情ではなくおぞましいものを感じていました。
自分の中に“自分ではないもの”がいる。って相当怖かったですね。あと帝王切開が決まっていたので、帝王切開への恐怖もありました。
でも“仕込んだものは出さなければならない”と思っていました。
お腹にいる赤ちゃんのことを“可愛い”と思ったことがないんですよね。
出産後に襲う戸惑いの日々
帝王切開で子供を産んでから傷の痛みを耐えて母乳を上げていたのですが、色々とつらそうだったのか看護師さんが
「今は人工ミルクも良いのがあるから大丈夫よ。初乳はあげたから大丈夫」
と慰めてもらいました。
幼かった我が子をかわいいと思ったことは残念ながら一度もありません。何せ母親と言う物がわからない。義母にもらった育児書を参考にしながら(体重や行動など)、育てました。
ネグレクト育ちでも子供は育てられる
現在、私の子供たちは18才と16才です。
ネグレクト育ちの私は、彼女たちが子供の頃は寂しい思いをさせました。
世間でいう母性を持たなかった分、冷静に子供たちを観察できたのは強さだと思います。
子供たちを冷静に見ることができたからこそ、発達障がいや軽度知的障害に気がつけたし立ち向かえたと思っています。
私は母親としての愛し方はわかりませんでしたが、人として子供を愛することはできるようになったと思います。
ネグレクト育ちで「母親とは何なのかわからない」と苦しんでいる方はいらっしゃると思います。
わからなくていいんです。
人として大切にすることはできます。親と子も最後は、人と人です。
母親フィルターがないから、子供のことを冷静に観察し異常に気がつくこともできるでしょう。
私がそうだったように――
コメント